ストーリー
NoelHatchができるまで
1.始まりは母のひとりごと

もともとガーデニング好きな母が、父に「ぷーさんの切り株つくって」と言ったのです。そして父が作ったのが、上記画像にある赤い切り株でした。
父によれば色の配合や適切な大きさが全く分からずに作ったらしいですが、私からすると「何もない状態から具現化するのはさすが」と妙に腑に落ちた感触がありました。
2.父のひらめきで本格始動
母の提案から父は切り株づくりにハマり、わが家は試作品で溢れていました。
その後「切り株をひっくり返すと鉢になる」とひらめき、植木鉢へと路線変更。
造り続けてコンセプトや用途が固まっていったといいます。
3. 作品が盗まれた⁉唯一無二のブランドになるまで

当店を象徴するエピソードが「盗難事件」。
私が大学生で「起業」の一文字も浮かばなかったころ、両親は老後のために当事業を始めていました。
チラシ、パンフレット、名刺、注文書まで用意して本気でやろうとしていたのです。
しかしそれは、ガソリンがないのに車を運転しようとしているようなもの。
SNS、Web、マーケティングの知識が全くないのに、片足を突っ込んでいたのです。

そんなとき、父の試作品を気に入った親せきが鉢を持ち帰りました。
庭に飾っているとそれらすべて、見知らぬ人に盗まれてしまったのです。
商品化する前とはいえ手作りが盗まれるのはとても痛ましいですが、
私は逆算して「盗まれるぐらいだから正しい発信をすれば必ず売れる」と考えました。
4. 高額なのは「買って後悔」をなくす鍵

私が障害者雇用で離職したのは2024年の1月で、ショップは2023年の10月に開設。
SNSのDMで噴出したのがいわゆる「買わない人たちの銭ゲバ批判」。
私は銭ゲバでも詐欺師でもないですし、むしろ安いと感じています。
45年間かけて積み上げた技術は伝統であり、黄綬褒章は印籠で、
お客さまを後悔させない確信と商品への絶対的な信頼があるからです。
最重量の商品でも10㎏以下、手が小さい女性の私が片手で持てるほど。
なんせ、魅力と可能性しかないモノを父はつくっているのです。
5. 障害者の私に宿った希望の炎と覚悟

偶然なのか、NoelHatchの頭文字であるNとHは両親の下の名前です。
そう悟ったとき、必ず広めると強い覚悟が生まれました。

NoelHatchの下書きは、父が黄綬褒章を受章した2014年。
奇しくも、私が発達障害(ADHD:注意欠陥多動性障害・ASD:自閉症スペクトラム障害)と診断された年です。(当時高校2年生の17歳)
今でこそ障害者支援は定まりつつありますが、当時は概念すら広まっていませんでした。
社会に出られないなら曲がった不安定な道で結果を出そうと、17歳ながら決心したのを10年以上経った今でも鮮明に覚えています。
そして、大学卒業後に襲ったコロナショック。
この数年は私にとって本当に大きな意味を持ちました。
なぜなら「会社勤めのような働き方は絶対しない」と、起業家や経営者として生きる道がスパッと見えたからです。
両親にできないなら、私がやるしかない。
黄綬褒章がなければ、私は定年まで障害者雇用一択だったでしょう。
私の道ときっかけを作ってくれた両親には、本当に心の底から感謝しています。
NoelHatchは両親への恩返しです。必ず世界中に広めます。
ゼロからのスタートとなりますが、ぜひ応援よろしくお願いします!
